沿革

沿革


 仙台広瀬ライオンズクラブについて


 沿革

 仙台広瀬ライオンズクラブは、1969年7月19日仙台ライオンズクラブと仙台中央ライオンズクラブ両スポンサーによって結成され、1434番目の国際クラブとして同年10月25日に認証されました。(宮城県内では23番目、仙台市内では6番目のクラブ)
 仙台LCから13名、仙台中央LCから11名の移籍メンバーと新会員24名の合計50名で発足しました。
 初代会長の門脇立郎ライオンは発足当時のことを振り返って、「たとえ人数は少なくても真に品位のあるライオニズムの堅実な高揚に努め、華美に渉らず、堅い友愛と結束の絆に結ばれた誇り高きライオニズムを築け上げ、社会奉仕に精進することであった」と語っており、5代会長の清水清ライオンは、ライオニズムの高揚とともに「明るく楽しいクラブ、会員相互の親睦に重点を置き、ライオン自身が額に汗して社会にマッチしたアクトに徹しよう」とスタートしたと語っています。
 初期のころのアクトとして、1971年4月17~22日まで仙台市役所を会場に、「ペルーの子供たちと仙台市内の子供たちの交換展示」を行い、入場者数は3万5千人を数え、国際親善の一助となりました。1974年10月4日、この年に姉妹クラブを提携した金沢兼六LCの10周年CN記念式典を初めて公式訪問。その折に、金沢兼六LCから記念アクトとしてチューリップの苗木1万本を頂戴し、松島青少年野外活動センターに贈呈。
 1976年、当クラブがスポンサーとなり仙台南LCが結成されました。1977年、宮城県点字図書館へ録音テープ「名作を訪ねて」10巻、点字・朗読吹込み用原本(医学関係書、文芸書、小説など)48冊を贈呈。
 1978年6月12日、宮城県沖地震が発生。金沢兼六LCとの合同アクトとして、被害が甚大で園児を分散させていた小百合園に連絡用として自動車を贈呈。
 1979年、第1回仙台広瀬ライオンズクラブ主催・少年剣道大会がスタート。同年、10周年記念アクトとして、車椅子労働者の訓練工場と隣接する寝たきり老人のためのホーム福寿苑の敷地内(約千坪)に、観る庭より行動する庭を目的として、「萩の郷広瀬園」を造成し、贈呈しました。1983年、広瀬川に緋鯉5千匹を放流。1987年、現代の俳人50-橋本照嵩写真展を藤崎デパートリビング館6階市民ホールで開催。1989年、結成20周年を記念して仙台市役所前に「姉妹都市モニュメント」を作成して仙台市へ寄贈しました。1996年・1997年には、未来のプロゴルファーの育成を目指して「リトルジュニア・ゴルフスクール」も開校しました。
 その後、時代の変遷とともに当クラブのメンバーが減少、最大のアクトであった少年剣道大会も現在は、仙台広瀬ライオンズクラブ旗少年剣道大会と改称して行われています。
 他には、ライオンズクラブ対抗野球では常に上位を占め、人気力士との野球大会の開催もしました。さらに、変わったところでは、和田弘とマヒナスターズショーや三船和子歌謡ショー、五月みどり歌謡ショーなどのアクトも開催してきました。
 クラブ内の親睦として、春と秋の家族会、クリスマス例会、忘年例会、ゴルフ部会、中国文化研究会(麻雀大会)、俳句同好会など懇親の場を設けています。

▼1971年4月17~22日 日本・ペルー親善児童絵画交換展
日本・ペルー親善児童絵画交換展

親善児童絵画交換展2


▼1979年 第1回仙台広瀬ライオンズクラブ主催・少年剣道大会
少年剣道大会

少年剣道大会


▼1981年9月13~15日 姉妹クラブ 金沢兼六LCと合同アクト
金沢市総合グラウンド内「若人の森」へ記念植樹と清掃奉仕活動
金沢兼六LCと合同アクト

金沢兼六LCと合同アクト


▼1982年10月 アイバンク基金募金箱「ひかりの箱」 募金活動
募金活動

募金活動


▼1995年 留学生招待旅行
留学生招待旅行

留学生招待旅行


▼1996年・1997年 リトルジュニア・ゴルフスクール
リトルジュニア・ゴルフスクール

リトルジュニア・ゴルフスクール


▼1996年9月29日 秋の家族会/1998年8月20日 牛の丸焼き家族例会
▼秋の家族会/牛の丸焼き家族例会

▼秋の家族会/牛の丸焼き家族例会


▼1997年6月13~15日 姉妹クラブ金沢兼六LC訪問「加賀百万石まつり」
姉妹クラブ金沢兼六LC訪問「加賀百万石まつり」

姉妹クラブ金沢兼六LC訪問「加賀百万石まつり」